嫌われ者が生涯一人で生きるには

精神科に通って薬を飲んでた2年間、私は夢を見ていました。更新頻度は少なめかもしれない

お久しぶりです

久しぶりにブログの更新を再開することにしました。

まずは報告させてください、11月22日にタップルで知り合った22歳の大学院生の方と付き合い始めました。

向こうからメッセージが来て何通かやり取りしたのちにLINEを交換して通話をしていくうちに好きになって私から告白しました。

11月23日に静岡駅で待ち合わせして、デートをしました、静岡市の街をぶらぶら歩きました、彼氏が昼ごはんを食べずに来てくれていたのでマックに入り昼食をとりました、そのあとラブホに行きました。

実はこの日11時に待ち合わせ予定だったのですが親に止められ叱られ、一時は諦めたんです。でもその後ふつふつと怒りがわいてきて、死のうと思って車で家を飛び出しました。死のうと思った龍眼山で女の子と目が合い会釈されました、こんな礼儀正しい子がいるんだと思ったのと同時に死ぬ気が失せてしまいました。それでせっかく家を飛び出したんだから好きな人に会いに行けるではないかとそれで13時に待ち合わせして会ったんです。

死のうと思って飛び出したから化粧もしないで髪もボサボサで服も適当な私と、彼は一緒に歩いてくれました。とても幸せでした。

今年は豊作でした。出会い系とTwitterでいろいろな人に出会ってオフでも何人かとお会いして、好きな人と3人もセックスできて、

今年で一生分の幸せを消費してしまったのではないでしょうか。

もういつ死んでもいい、

そんな思い

大1~2017年

すごくゆるい雰囲気だった、高校時代に意識だけ高くこじらせていたため絶対にこの大学に馴染めないと思った、そんな私はすぐに目をつけられ私の周りだけ誰も座らないなどの目にあった、一人だけかろうじて仲良くなれた子がいたが基本的にはぼっちだった、バイトをしていないのが恥ずかしくなり週2で早朝のコンビニアルバイトを始める、バイト代でスプラトゥーンセットを買ったりいろいろ買った、一年の前期はGPA3.2くらいでフル単をしたが後期は一つ落とす、成績が上位2名じゃなくなったので2年次からは半額ではなくなる、

なにより通うのがだるかった、バスを乗り継がなきゃならないのだ、大学の方のバスは一時間に一本しかでていなくて一本乗り過ごすと時間をつぶさなければいけなかった、それが嫌であと普通に人がいっぱいで詰め詰めなのが嫌で2年からはチャリにした、

2年からは平気でサボるようになった前期は8単位しか取れなかった、

2年の夏休みに工場のバイトをしたがきつすぎて5日で辞めた、絶望だった、工場が務まれば大学を辞める気だったのに、

結局後期も最初は通う、だが三四週目で限界を感じ全くいかなくなる、

勉強が苦痛だった、もう勉強をしたくないと思った

勉強しないのなら大学に行ってる期間がとても無駄に思えた、どうせワイワイする友達もいないし、ただ通うだけそれが耐えられなかった、なによりバス通学が耐えれなかったバスに乗り込む大学生は皆オシャレ、自分はえ?って感じの服装、私の隣だけ誰も座らないということがよくあった

2年終わり、大学を退学する

大学は自分の居場所じゃないと思った、私は引きこもってなるべく人目に触れないように細々生きるしかないのだというのを悟る、

ひきこもってはじめのうちは最終的には自立しようと思って仕事を探した

工場で働いた、だめだった、老人施設の厨房で働いた、だめだった、また工場で働いた、だめだった、

完全に働く気力を失った、そして今に至る

高1~高3

無事第一志望(偏差値59)に受かる、自称進学校と言った所だ、難関大へ行く卒業生は片手で数えられるほどしかいない、それどころか国公立へ進む人自体少ないということは卒業してから知った、ほとんどが私大へ進むのだ。

もう既にグループができあがっていて万事休すだったがもう1人一人で行動してる子を見つけて声をかけ仲良くなる、

高校の頃はなめこが好きだった、

部活動は美術部に入る、最初は吹奏楽部に入るつもりだったが友達は入るつもりがなかったみたいなので美術部に行くことにした。

正直私は人間がとても怖くてものすごい近寄るなオーラを出していたのできゃぴきゃぴした女子に怖っwとか言われた、男子に足をひっかけられそうになって避けたり椅子を隠されたりした、1、2年の頃はスクールバスで通ったが、後輩が悪口言ってて怖かったし場違い感は感じていたので3年はチャリ通にした、結局おばあちゃんに送ってもらってたけど、

一年の頃は1年5組だったんだけど体育で理数科と一緒だったんだけど理数科のチャラい人らにめっちゃ冷やかされたり馬鹿にされたりした、もはや人間だと思われてなかった。大まかにきもいブスと毎日言われていたことは覚えているのだが細かくは覚えてない、何をするにしても相手をイラつかせているような気がした、一年の頃は自分のあまりの無能さに虚無感が半端ではなかった、

あとこの時期2chの洒落怖を読み漁っていた怖い話と不思議な話が大好きだった、よくそれで夜寝れなくなったり常に気配を感じて見えないなにかに向かって怒ったりした、

カゲプロと進撃にハマる、ニコ動にハマって毎日ランキングを見るようになる、ワタモテと進撃はニコ動で見た、ホラゲ実況をよく見ていた、楽しかった、その頃って実況ブームでたくさんのおもしろい実況がほぼ毎日上がっていた、ゆっくりの地球防衛軍とガッチマンさんとレトルトさんとアブさんあとキヨさんと最俺さんたちの実況が好きだった、まっくすさんのアイワナ実況も好きだった、その他にもいろいろな実況者がいたけど覚えてない、

現実世界はつらく、現実逃避が楽しかった

中3になると意識だけは高く受験スレを読み漁るようになる、あと東大生の動画を見たりして意識だけは間違いなく高くなっていった、そういうのを見たり読んだだけでなぜか頭が良くなった気になって満足していた

問題集などいっさいやらず教科書を読んだだけで満足していた、

高二の時と意識しか変わらずゲームばかりしていたような気がする、宿題が出ない時は1日0時間なんてのも平気であった、

美術館のアトリエ教室にいたボランティアの静大生がとても親切で静大の美術デザイン専攻を志す。

デッサンはいろんな人からうまいと言われていたので調子に乗っていた、実際自分でも上手いと思っていた(志が低い…)

正直前期の実技試験のデッサンのできはセンターがE判定じゃなければ確実に受かっていたと思った、

静大のオープンキャンパスで自分だけ案内図を配られない、帰り際ボールペンを配っていた静大生に今の子めっちゃぶすだったwと言われるなど、嫌な思い出が多い、

今思えば最初から大学に進学なんてしなければよかったと思う、高卒の公務員試験でも受けてた方が万倍賢かった、しかし当時の自分は美大生に憧れを抱きすぎていた、盲目だった、

結局パンフレットを見ただけで行くのを戸惑った福祉大学へ進学する、(静大センターE判定だった私がセンター利用で半額スカラシップを取れるほどのF欄である)、