嫌われ者の日記

更新頻度は少なめかもしれない

仏教は智慧の宗教

舎衛城というところに、ゴータミーという婦人が住んでいました。彼女には1粒だねの男の子がおり、その子の成長をただ一つの生きがいとして毎日を暮らしていました。運命は皮肉なもので、その子はかわいい盛りに、たった一夜の病気で死んでしまいました。ゴータミーの歎きは言うまでもありません。(同情した近所の人に勧められて)仏陀をたずねました。

「どうかこの子を生き返らせてください。私はどんなこともします」

「婦人よ。その子を生き返らせたいと思うなら街に行って誰も死人を出したことのない家から、ケシのみをもらい、それを飲ませなさい」

とブッダはこたえたのでした。喜んだゴータミーは、さっそく街に出て、一軒一軒、死人を出したことのない家を尋ね歩きました。何10軒探しても、何100軒探しても、そんな家は見つかりませんでした。.......時が経ち、しだいに心落ち着いてきたゴータミーは、死は誰にも避けられないことを悟ってきました。

この物語のなかに注目すべき3つの点、

第1は仏陀が少しも奇跡を行っていないことです、宗教には奇跡が必ず伴います。

第2は、ブッダがカウンセリングの方法をとっていることです。ブッダは直ちに「人間の死はまぬがれえないこと」を告げていません。彼女自身が自分でそのことを自覚していくようにしむけているのです。

第3に、彼女の悩みを超越者とか絶対者への信仰によって解決しようとしていません。ブッダは人生の哲理を説くことによって解決しようとしていることに注目したいのです。信仰による救済でなく、智慧による救済の道をとっているのです。