嫌われ者が生涯一人で生きるには

精神科に通って薬を飲んでた2年間、私は夢を見ていました。更新頻度は少なめかもしれない

最澄&比叡山延暦寺

奈良時代には、鎮護国家が仏教の最大の目的とされていた。そのため、僧侶は政治に介入し政治を混乱・腐敗させることにもなった。これに対し最澄は、山家山学を唱え、全ての権力から離れ、宗教の純粋性を追い求めた。

さらに衆生(この世の生きている全てのもの)を救う大乗仏教をすすめるため、比叡山に大乗の戒壇(正式な僧侶の資格を授ける場所)を設ける許可を朝廷に求めた。しかし、奈良(南都)仏教の反対にあい、死後七日目にようやく勅許がおりた。

正当な仏道修行の方法は、彼が開いた天台宗総本山比叡山延暦寺において受け継がれた。そのため、鎌倉新仏教を開いた法然、親鸞、道元、日蓮らをはじめ多くの僧侶たちがここに学んだ。


近江国滋賀郡古市郷で生まれる。12歳で出家。18歳、東大寺で具足戒を受ける。比叡山で修行。21歳、比叡山延暦寺を建て、修行道場とする

。35、和気広世とともに桓武天皇からの渡唐の内意を受ける。37、遣唐使に随行。天台宗で天台教学・大乗戒・禅・密教を学ぶ。38、帰国し天台宗を開く。45、空海によって密教の灌頂を受ける。50、会津の法相宗の僧、徳一と論争。55、死去(諡は伝教大師)。7日後、比叡山に大乗戒壇を設ける勅許。


最澄は、初めて比叡山に登る時、その願文で発し難く忘れ易き善心を仏前に誓った。これは19歳の最澄が、これからの修行の人生を前にして、自らを戒め激励した言葉である。

これでもかこれでもかと仏教の真理を尋ねる中で、そのエネルギーになっているのが道心、つまり人間の純粋性であって善心なのだ。そしてこれは、修行僧ばかりでなく、誰の心にもあるものなのである。

最澄は天台宗の一乗思想、すなわち、全ての人が成仏できると主張する。最澄は、法相宗の僧、徳一の三乗思想(立場や能力や素質によって成仏できない場合もある)とする考えに真っ向から反対した。

一切衆生悉有仏性とは、生きとし生けるものはすべて、生まれながらにして仏となる可能性を持っているので成仏できるという考え。

・比叡山延暦寺(延暦寺は修行、経典研究の中心地の一つとして数々の名僧を輩出した。日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍をはじめ、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら鎌倉新仏教の開祖たちはいずれも比叡山で修行している。)